水野英子先生、丸山昭さんトークイベント

森下文化センターで開催された
水野英子先生と元「少女クラブ」編集者の丸山昭さんの
トークイベントに参加してきました。
少女マンガ家と編集者が向き合ってトークするというシリーズの
ひとワクで、全回参加者と今回のみの参加者で会場は大入り。

丸山さんにお目にかかるのは自分は今日が初だった事もあり
約二時間、目の前で話されるのを聞く事ができ
参加できてよかったです。

○女性マンガ家が少なかった当時、「少女クラブ」の
女性編集者にも水野先生の絵は好評だった。
初期は「少女クラブ」でカットやひとコママンガ、読者ページなどを
描きながら、手紙で丸山さんが描き方の手ほどきをしていた。
一年後、ストーリーマンガ「赤っ毛子馬」(西部劇16ページ)が
掲載になる。

○石森、赤塚先生と合作した「U・マイア」名義の作品
「赤い火と黒かみ」当時は、まだ上京しておらず、
お互い顔も知らない状態で原稿を往復し、電話でやりとりしてた。

その作品の掲載誌(別冊ふろく)表紙は内藤ルネさんによるもの

○好評になった合作を増やす為、水野先生、3ヶ月の予定で上京したが
居心地がよく6ケ月に。当時、入居希望者はたくさんいたので、
離れる時は再入居は諦めてた。
トキワ荘の自室には、包装紙いっぱいにカウボーイを描いた絵を
貼っていた

トキワ荘での合作時は、石森先生が窓際の机で執筆、
そのうしろの円卓で赤塚、水野先生が執筆、
赤塚先生は水野先生が使いやすい場所にライトを置いたり、
座ぶとんを勧めてくれたりしたらしい

○一部で真しやかに語られてるが、水野先生は赤塚先生に
セクハラは受けていない(笑)

○「銀の花びら」別冊ふろくの同時掲載作品「金時さん」の作者
南汀子とは、石森先生の変名で、その理由は原作者が着いた事を
嫌がった結果・・?
別冊ふろく部分は石森先生下絵、赤塚、長谷先生がペン入れ

○「星のたてごと」はマンガでラブロマンスを描いた初の作品と
いわれるが、カッコイイ男性が描きたいというのが第一だった

○自分の案を貫く為に、敢えて締めきりギリギリに提出する時もあった

○赤塚先生が後に有名になった頃、丸山さんが担当してた
「フェーマスアートスクール」に参加し、画壇の巨匠と並んで
銀座画廊に発表した作品が「ケムンパス」の油彩画。
丸山さんは頭を抱えたが、会場では一番人気だった

・・などなどメモしていくとキリがないです(笑)


丸山さんは、お涙もの主流だった当時の少女マンガ界に
あえて一線を博する海外小説をモチーフにした作品を石森先生に
まかせたそうです。
そんなお二人の口から現在の編集者主導のマンガ界に対し
疑問の声が・・どこから変わってしまったのでしょう?